論理的・多面的な思考法とAIの活用方法

少しブログのインターバルが空いてしまいました。

あまりの暑さで……というのは言い訳ですが、申し訳ありませんでした。
さて、前回記事の締めに、

これからの社会では「多角的な視点」「多面的なアプローチ」が必要で、その思考力を身に付けるための手法や、最近そのような使い方で注目が集まっている「AI」との向き合い方を含めてお話する

という旨を記載しました。

暑さで筆者自身の思考力がやや鈍っているような気もしますが、気力を振り絞って考えてみたいと思います。そして、その上でAIとの向き合い方も考察してみましょう。

まずは、思考力を身に付けるための手法について。
個人的な見解としては、「文章に触れる機会をどの程度持つことができるのか」だと考えています。

現在多くの人が頻繁に目にしている文章のひとつに「SNS」がありますが、これは不特定多数の人が「感じたことを、そのまま書く」ことが多く、日常的な口語が用いられ、文法などは比較的意識されていません(もちろん、専門家の方や文章力に優れた方も数多くいらっしゃいます)。

SNSは文章を書くのが得意でない人でも容易に発信出来てしまう場ですので、しばしば、言葉足らずで論争を引き起こしてしまう傾向があります。近年では、公の機関や企業・芸能人なども、一度の“言葉のあや”であっという間に失脚してしまうような世の中になってしまいました。

またエコーチェンバー現象により、特に怒りが増幅しやすい構造になっていることも要因のひとつと言えます。

また昨今、LINEなどの連絡ツールでも、主語がない文章を使われる方が多く見受けられます。素早く手軽な連絡手段は有難いですが、仕事等で使用する場合には充分に気を配る必要があります。

文の組立てに気を遣うと、結果的に文章量が増えます。「長い文章をもらうと面倒!」という意見があることも重々承知していますが、やはり間違って伝わってしまうリスクを考えると、丁寧に伝えたほうが結果的にスムーズに物ごとが進むのではないでしょうか。

では、そういった思考力・文章力を身につけるためには、何をしたら良いのか。
そのうちのひとつとして、書籍や新聞など、編集・推敲の工程を経た文章に触れる機会を増やすとよいでしょう。編集・推敲を経た文章は、論理が責任の上に成立しており、たとえ偏った意見だとしても読後に一定の納得感を得ることが出来ます。

いわゆる「腑に落ちる」ということです。

この「腑に落ちる」感覚が思考力を鍛え、その結果、自分なりの方向性や答えを見出せるようになるのではないでしょうか。基本的な国語力が担保された文面であれば、筆者の意見をある程度正しく解釈できますし、そのあと「自分はどう思うか」を思考することができます。一足飛びで発信をする前に、まずは自身の中で咀嚼し、反対意見も受け取り、思考する時間を作ってみましょう。また、アナログ媒体であれば、ネット記事のように末尾に不特定多数の読者コメントなどが更新されることはありませんので、あなた自身の気持ちとじっくり向き合うことが出来ます。
それに、国語力の高い文章を読むことは、自身の語彙力を豊かに成長させてくれます。


では次に、上記のスタンスをもって、AIの活用方法について考えてみましょう。

AIも、今やITが得意ではない層にまで浸透しましたが、よく見聞きするのは「AIに丸投げ」という使い方。これは良くありません。

最近では、「ググる」より先にAIへ質問する人も増えてきました。全く知らない分野についても、AIに訊けば、たとえ稚拙な指示(プロンプト)だとしてもそれらしい答えが返ってくる。おまけにそれが正しい情報かどうかは精査せず、あたかも自分の意見のように発信する。このような使い方をする人が大変多く見受けられます。またAIによって生成された情報がネット上に大量に蓄積されることで、以前よりも「検索しても、本当に人間が考えて書いた情報なのか」が分かりにくくなっているように感じます。中には、身近な人間関係の決断をAIに任せるといった人も見たことがあります。

一度、自身が良く知っているジャンルの話題について、AIに訊いてみるのが良いと思います。恐らく、間違っていたり不自然な情報が、正解のような文体で説明されていることが多々あると思います。

つまり、AIにすべてを依存することは、思考を放棄しているともいえます。結果、個人としての主体性や、知性、理性の低下を招いてしまうことも懸念されます。
よって、AIはあくまで脳や仕事の補助ツールとして活用する意識を持ちましょう。

世の中では「AIにより、いずれ人類は学習する必要がなくなる」とも言われていますが、そのようなことにならないような意識を持つことが大切だと思います。仮にAIが全ての知識を補ってくれる世の中になったとしたら、それはあまりにも「味気ない人生」と言えるのではないでしょうか。

ですから、まずは個々の人間にしか生み出せない言葉で考え、自分で文章にする。そして、それを客観的かつフラットに評価させる、もしくは添削をさせる。そこから、文法やテクニック、自分以外の視点を獲得し、自分の個性・意見はあくまで自分のものとして据え置く──という使い方が、現状では健全な使い方ではないかと考えます。

最近では、大学生が書く論文についても、まずは自分で考えて文章を構築し、それをAIにチェックしてもらうというようなステップを、先生方も推進しているようです。
AIは思考の壁打ちとして使う、あくまでビジネスや勉強の補助装置であるということです。

つまり仕事の関係性で言えば、部下や上司ではなく、電卓や定規、パソコンの延長で、道具の範疇なのです。


早いもので、9月になりました。
筆者の予感では、来年春までの約半年間で、ずいぶんといろんなことが変わってしまうだろうなあ、と感じています。
もちろん、良いことも良くないことも、です。
できるだけ良い方向に向かうよう、心の準備をして、新年度までの半年を過ごしていきたいと考えています。

さて、次回のテーマですが、今筆者が、新たな取り組みとして始めてみようと考えている「人的資本経営」についてお話したいと思います。人手不足、AIと仕事の関係性など、これからの経営のあり方、そして働く側の働き方を示唆する考え方と思っています。

少し難しいテーマですが、わかりやすくお伝えするように心がけます。
では、次回まで。